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召喚の環(サークル)

序章 第1話 灰の空、崩れた神殿

第11節〜第12節

序章 第1話 灰の空、崩れた神殿

第11節〜第12節

第11節 再会と誘い

 アゼリアは夜明け前の冷気の中、ひとり歩いていた。

 焚き火を離れたのは、レインを避けるためではない。

 ――ただ、彼に見せたくない顔があった。

 神殿跡の外れ、崩れた回廊の影。

 そこで、彼女は足を止めた。

 「……出てきなさい。“記録者”」

 答える声はなかった。

 だが、空気がわずかに震え、影が形を持った。

 「よく気づいたな、アゼリア・ルーメン」

 現れたのは、黒い外套に銀糸の刺繍を施した長身の人物だった。

 フードの奥から覗く瞳は、深い青――だが、その輝きは人のものではない。

 「久しいな。……いや、久しいと感じるのはお前だけかもしれないが」

 「ここに来た目的を言いなさい」

 「監視だ。環が揺れた。お前たちの動きも、その一因と見なされている」

 アゼリアは表情を変えず、ただ視線を逸らさずに立っていた。

 その手は、外套の下で静かに巻物を握っている。

 「彼は関係ないわ」

 「関係ない……か。

 だが、既に“吸収”は始まっている。火星の記憶は彼の内に宿り、君が傍にいる限り、その環は加速する」

 記録者は一歩近づいた。

 その足音は地に触れているはずなのに、どこか空虚だった。

 「君に選択肢を与えよう、アゼリア。

 一つは、彼と共に環の再生に挑む道。

 一つは、彼を切り捨て、記録の外へ置く道」

 「……切り捨てた先に、何が残る?」

 「静寂だ。だが、それは必ずしも平穏ではない。

 記録から外れた者は、やがて形を失い、忘却の海に沈む」

 短い沈黙。

 その間に、薄明の空が少しずつ色を取り戻していく。

 「私は――彼を記録の外には置かない」

 その答えに、記録者は微かに笑った。

 「ならば、旅立て。

 次に会うとき、君たちは既に第一環の門をくぐっているだろう」

 影が薄れ、風のように消える。

 アゼリアは短く息をつき、東の空を見やった。

 そこには、夜明けの光の中、レインの姿が小さく見えていた。

 彼がこちらに向かって歩いてくる。

 その歩みはまだ重いが、確かに前へ進んでいた。

第12節 灰の空を越えて

 東の空が、わずかに朱を帯び始めていた。

 崩れた神殿の影はその色を帯び、灰色の世界に、かすかな温度を差し込ませる。

 アゼリアは回廊を抜け、歩み寄ってくるレインと視線を交わした。

 彼の足取りはまだ重く、右腕の疼きも完全には消えていない。

 だが、その瞳には、夜明けを迎えた者の光が宿っていた。

 「……どこへ向かう?」

 レインの問いに、アゼリアは短く息を吐き、肩に掛けた外套を整える。

 「第一環の門――《ローヴァル境界》。そこを越えなければ、旅は始まらない」

 「境界……?」

 「世界を七つに分かつ環のひとつ。かつての召喚士たちは、そこを越えることで新たな契約地へ辿り着いた。今は封鎖されているが……道はある」

 レインは無言で頷いた。

 その答えは、もう決まっている。

 「だが、ひとつだけ覚えておけ」

 アゼリアの声は、朝の空気よりも冷たく澄んでいた。

 「境界を越えた先では、記録も夢も、現実と同じ重さを持つ。お前が抱える記憶が、必ず試される」

 「望むところだ」

 レインは右腕を軽く握り、わずかに笑った。

 その笑みは決意の表れであり、同時に覚悟を飲み込むための小さな呼吸でもあった。

 神殿跡を後にし、二人は灰色の平原を進み出す。

 雲は低く垂れ込め、遠くで雷鳴が小さく響いた。

 だが、その先には、確かに光があった。

 やがて丘を越えたとき、彼らの前に広がったのは――

 果てしなく続く黒鉄の壁と、その中央に佇む巨大な門。

 門の上には、複雑に絡み合う環の紋章が刻まれていた。

 「……あれが、第一環の門」

 アゼリアの言葉と同時に、門の奥から微かな唸りが響く。

 まるで、訪れる者を待ちわびていたかのように。

 灰の空の下、二人は並んでその門へ向かった。

 新たな物語の幕が、静かに上がろうとしていた。